自己責任論を採用して生きていく。『運命の奴隷』から自分を解放せよ!

こないだYouTubeでホリエモンが、

自己責任と助け合いはそもそも対立概念ではない

って言ってたのを観てハッとしました。

 

僕は基本的に自己責任論者ですけど、世間一般で議論される自己責任論とはちょっとニュアンスが違うなと思ってた矢先、ホリエモンのこの言葉が完全に腑に落ちたので、僕なりの『自己責任論』語りをしてみようと思います。

 

一般的な自己責任論は『他者の切り捨て』

僕は、世間に流布する『自己責任論』というものに違和感を感じています。

 

世間で語られる自己責任論が、

自分で蒔いた種だろ!自分でちゃんと責任とれよ。

という、当事者を第三者がバッサリ切るような「切り捨て御免」のニュアンスで語られるからです。アンチ自己責任論者も、自己責任論を『弱者の切り捨て』として捉えているようです。

 

 

中には、

自己責任重視の社会か?それとも助け合い重視の社会か?

なんてことも同時に語られたりしてますが、そもそも、『自己責任』と『助け合い』って相反するものではありません。

 

 

どうして、こんな的外れな議論が生まれるのかというと、自分の人生に責任を持ててない人たちが『責任』というものを理解しないまま、あーだこーだ言い合っているからです。

 

責任とは『引き受け』のこと

『責任』ってけっこう抽象的な言葉ですが、『責任』というのは、要は『引き受け』のことなんです。

 

『自己責任』というのは、

自分の身に起こったことを自分のものとして引き受ける

ということだと言ってもいいでしょう。

 

『引き受ける』という言葉にもう少し具体性を持たせるなら、それは他人のせいにしないということ。

 

自分の人生を自分のこととして引き受けて生きている人は、安易に『他人の自己責任』なんて追求しないはずです。

 

つまり、自己責任というのは、ものすごく一人称的な概念なんですよね。

 

 

当事者が自分で自分の言動を自己責任と言うのOK、と言うか、まあ、そうあって然るべきなんですが、それを他人が言っちゃうのはアウトなわけです。

 

それなのに、他人の自己責任について第三者が、それこそ無責任に言及するから『自己責任』と『助け合い』が対立概念として浮上してくるんです。

 

 

そうなってくると、

自分のことくらい自分でなんとかしろよ!

という殺伐とした冷たい雰囲気が社会に充満してしまいます。

 

そうじゃなくて、自己責任社会でありながらも、それと同時に、失敗した人を応援、または助けようとする『雰囲気』を社会は持っている必要があるんです。

 

僕が住むオーストラリアでは、走行距離30万キロとか40万キロとかいう車が、当たり前のように走ってて、信号待ちでエンストなんて光景も日常茶飯事です。

 

僕もこっちに来た当初は超絶ボロ車に乗ってて、ご多聞にもれず道路の真ん中でエンストしたことが何度かあったんですが、そんなピンチの時は、必ず道路脇まで車を押してくれる人が現れます。中には、自分の車を停めて降りてきてまで手を貸してくれるツワモノもいます。

 

 

オーストラリアって父性原理が働いている社会なので、「自分は自分、他人は他人」という感覚が日本よりはるかに強いわけですけど、それでも困っている他人を支えてあげる雰囲気が社会に満ちていて、どこか安心感のようなものがあります。

 

もちろん、大前提として、当事者は他人に助けてもらうのを期待して自己責任論を語るべきではありません。他人の援助を期待している時点で、それは自己責任ではないですからね。

 

ただ、こうした『助け合いの雰囲気』と『自己責任』は、社会の両輪である必要があると思ってます。

 

『自己責任』と『助け合い』が相反するものではないことが理解できれば、それぞれが自分の責任として自分の人生を生きつつ、社会がそれを生暖かく見守る、そんな雰囲気が社会に生まれるのも、それほど難しいことではないかもしれません。

 

アンチ自己責任は『奴隷マインド』

自己責任を否定するということは、

自分が辛い人生を送っているのは社会のせいだ!

って言っているようなものです。

 

これでは、自分で自分の人生をコントロール不可能なものにしてしまいます。自分の身に起こったことの原因を外部に求めるわけですから。『運命の奴隷』になってしまうわけです。

 

逆に、出来事の原因が自分の内側から生じているとすれば・・・

 

自分の考え方だったり意識、そして行動をコントロールしたり、クリエイトしたりすることができれば、自分の人生はコントロール可能なものとして再浮上してきますね。

 

『自己責任で生きる』と決めることは、自分の人生のオーナーになるはじめの一歩

『現実』とはもれなく『潜在意識の投影』です。

 

僕が精神的に辛かった時期は、何かにつけて他人や環境のせいにしてたし、社会に対して心の底から「No !」を叫んでました。そうやって、イケてない現実を自分で創り出していたわけです。

もちろん、そこに自覚はありませんでしたけど。

 

それが、ある時期を境に『自分が自分の現実を生み出している』ということに気づいたことで、現実がポジティブな方向に動き始めました。

 

現実というのは100%、その人の『在り方』で決まってきます。そして、その『在り方』というものの根本原理に『自己責任』というものがあるんです。

 

戦争の惨禍をくぐり抜けながら、ハッピーな人生を送った人もいれば、物質的にも恵まれた平和な時代に生きながら、悲観的な人生を送る人もいます。

 

『自己責任で生きる』と決断することは、『人生の奴隷』ではなく『人生のオーナー』として生きていく絶対条件なんですね。

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